連載のネームを終えて、所信表明漫画を描いている。こちらもネームは完成し、ペン入れに入ったところだ。
ここ数日あまりジャーナルを書いていなかった。公開されているのは一日に何本も書いて溜めていたものたちだ。
ネームが佳境だったのでジャーナルを書く時間もネームするのにあてていたり、夜もスマホを寝室に持ち込まなくなったので考え事を書き留める時間がなかったりしたのも、書いてなかった理由かもしれない。
それでもずっと考えていることはあった。「利他的に生きる」ことが、どこまで自分にできるのかについて。
寿命わずかの子供が、絶え間ない痛みの中、「絵本を描きたい」という夢を叶え、そこに挟むカードに「夢を叶えられて嬉しかった」でも「辛かったけどがんばった」でもなく、「辛いけど一人じゃないよ、みんなでがんばろう」って書いたみたいな話を聞いてから、もやもやしている。
自分には到底できない。思いやりのある人になりたいなとは思っているはずなんだけど、自分の利益を損なってまで他人の利益になれないなと。
漫画描いてて子供の相手がおろそかになっている時とか、少し疲れたくらいで全ての家事を放棄している時とか、ほんとにだめだな私はと思う。
思春期からずっと思ってるけど、「優しくあるためには強くないといけない」んだよなあ。
ずっと同じこと悩んでるなあ。
体力をつけたくて運動も少しずつするようになったけれど、一定以上強度をあげるとどうしても翌日以降に筋肉痛とか腰痛とか出てきて、過去の自分より弱る日が出てくるのが嫌。それが回復した時、ちゃんと波状でも少しずつ体力がついてるのか分かんなくて、ちょっと不安。
生きている限り人間は、スタンスを二つ持たないといけないんだと思っているんだよね。
一つは「やる」スタンス。
利他的で、生産的で、知的にやる。
もう一つは「やすむ」スタンス。
肉体的にも精神的にもきちんと休む。
イライラや不安が生まれるのを受け止めて処理するのもこのスタンスだし、低気圧性頭痛とうまくつきあっていくのもこっちのスタンス。
これらの悩みや、弱い自分を完全になくすことは出来ないんだと思う。
けど、やすむスタンスが多くないか?と思ったりもするんだよねえ〜。もう少しやるスタンスで生きたいよう。
だから運動増やしたり体重減らしたり体柔らかくしようとしてもだもだしているのだけど、なかなか難しいねえ。
がんばりたいよ。

