降りかかる困難を前に冷静でいられたのは

ピンチはチャンスという言葉がある。
危機的状況というのは、華麗に乗り越えられれば周囲からの評価が上がり、自身の有能性を示す好機になるとか、そういう意味だと思う。

私の場合どうだっただろうか。
妊娠後期、中絶もできない時期に子の心臓病が判明し、産むまでに長男の保活を終え、必要な知識を得て、育てる覚悟を決めた。
これらの成果は、私が元々持っていた有能性を示したわけではない。どちらかというと、火事場の馬鹿力に近い。
これはピンチだな、という認識はあった。だが、じゃあチャンスでもあるな、とは到底思えなかった。臨月に入り、風邪をこじらせた私の体力ゲージは短く赤く、ピコーンピコーンとアラームが鳴り響いていた。精神的には、もうずっと参っていて、けれどやめることも許されなくて、流れていく時間になかば引きずられるようにして出産へとこぎつけたように思う。

頑張ろうと思って頑張ったわけじゃない。頑張らざるを得ない状況だったのだ。夫は助けてくれないし。
あの時の私を褒められる点があるとすれば、本当に冷静だった。たくさん泣いたけど、それさえ、意識して泣くようにしていた。泣くとストレスホルモンが物理的に流れ出るから。辛ければ泣けばいいと、知識として知っていた。

不安を抱えたり、悩んだりしている時に、冷静になるためにしていたことがある。
それは「悩むべきことはこれで合ってるのか?」と問い直すこと。

空の菓子袋を持って泣いている子がいる。
「どうしてなくなっちゃったの?」
それはあなたが全部食べたからなんだけど、と答えたところで、子はますます泣くだろう。
この時子が本当に泣くべきことは、「もっと食べたい、おかわりはある?」である。

私の場合も同じで「どうして私の子が病気なの?」などと悩んでも仕方がない。悩むべきは「どうやったら病気の子を育てられる?」もしくは「育てないとしたらどういう方法がある?」だからだ。

「そうは言っても」と思う自分ももちろん居た。
「お腹の子は心臓病です」と言われた衝撃はすごい。(はっきり言われたことはないけど)
一日や二日で収まる衝撃じゃない。頭では分かっていても、心が揺れまくっていて。

子が空の菓子袋を見て泣くのも同じである。人生で初めての衝撃だったんだろう。親は心の揺れが収まるのを待ってやる必要がある。

私も同じように、いっぱい泣いた。「しんどい」とか「もうやだ」とか、いっぱい思った。
でももう頭は正しい問い「どうやったら自分の幸せを守れるか」に切り替わっていたから、心が揺れているのもそのままに、泣きながら制度や体験談の知識を集めた。

病気が分かってから産むまではおよそ3ヶ月弱。私には衝撃を吸収する時間と、悩みを現実的な問題として分解して処理する時間を分けられるほどの猶予がなかったから、仕方なかった面もある。

だらだら悩んでる時って大抵暇で退屈しているからね。理屈を捏ね回してそれが楽しかったり、泣く理由になるなら(ストレス発散になるから)いいけど、泣けもせず、ただもやもやして、イライラし始めたら、悩むべき問題じゃないのかもしれないから、問いの立て方を変えるのをおすすめするよ。