前回は、頭が良くて他者とのコミュニケーションを必要としていなかったおにぎりが、進学校へ進んで成績が最低ランクになってしまったことをきっかけに、他人に興味を持つ必要性を感じ始めた、という昔話でした。
もし私が東大レベルの頭の良さだったら、あのままコミュ障をこじらせ、一人で文学研究とかしていたのかなあ。これまた厄介なことに、発表とか会議とかは得意だったから、うまいこと自分が「コミュ障」であることにすら気づかずに、一人で生きていったのかもなあ。
挫折がないなら、それでもいいんだろうけど、「結婚したい」とかなった時にいずれする挫折だったと思うので、早めに「コミュ力」という課題にぶち当たれたことは本当に良かったなと思っています。大学や社会人になってからでは、失敗することへの怖さが勝って、集団に入ることを諦めてしまっていたかもしれないし、自分の課題が「コミュ力」であることに気づくのにすごく遅れたと思う。
高校時代はどうにかして「人間になる」ことを目標としていました。どうしてこんな簡単な会話ができないの、なんで分かってもらえないの、なんで気まずくなるの…。自分が「異物」であることをひしひしと感じながら、なんとか融和していこうと、体当たりで、恥ずかしい思いをたくさんして、「普通」を目指していました。
発表や議論は得意なのにコミュ障ってどういうこと?と思いますが、要はオタクというか、自分のことをベラベラ話して、自分の有能さを証明するのは得意中の得意なのですが、相手に興味がないんですよね。だから話が広がらない。
挫折って大事ですね。なんか振り返ってみて大切なことを思い出しました。
なんでこんなことを考え始めたかって、また「ほぼ日の学校」がきっかけで。
聴衆に向かって喋ってるんですよね。その中に、過去の自分がいたら、どう聞くんだろう?と思ったのです。今の自分にはすごく響いているけど、若い時に聞いて、同じようには絶対感じないよなあと思って。
そうだったなあ。私、高校生になってやっと、人に興味を持ったんだった。人に興味がなかったから、「不機嫌で、議論に勝てれば良くて、他者を顧みず、ネガティヴ」でも良かったんだなあ。
もっと早くから、今みたいな目標を持てたら私はきっと違った人生を送れていただろうにと、思って色々振り返ってたんだけど。うん。まあもっと早く気づいても良かった気もする笑
子供時代から、人と会話するのが何より好きな子だったら、どうなっていたんだろうなあ。
生まれ変わったら、今度はそんな子に生まれたいなと思いつつ、でもまあ「人に興味がない子供」を知っている私もきっといつか役に立つと思って、遅ばせながら「ニコニコポジティブ」を目標に生きていこうと思います。
追記 自分自身が他人に興味を持ちたいと思っているわけだから、当然子どもたちにもそういう人であってほしいよね。自分が光ることで人を集めるのではなく、他者の光をたくさん褒めて、たくさんの光と光を集めて面白がる人であってほしい。もちろん自身が光ることも大事ではあるけれど。

