公開ジャーナリングもこれで10本目だ。
毎日変わり映えしない日常の中で考えていることを書いているので、テーマも似たり寄ったりだ。
いつも怒って落ち込んでばかり。目安としている1000字を書くのは中々に骨が折れる。書きたいことしか書けないので、テーマを探すだけでも苦労している。
でもやってよかった。
公開することにしたのが一番よかった点だと思う。中々人に読まれないところに置いてるけど、公開するからにはと、各投稿をネガティヴだけで終わらせないことにしたのだ。何かしらの分析による発見や、引用との対比、対処法の提示をしてから眠るのが習慣づいた。
おかげで私の中で一番いやな、「今日も何もできなかった」で一日が終わることがなくなった。
推敲さえしていない1000文字だが、何かを毎日生産できるということが、こんなに安心感を生むとは。
これが私的なものだったら、絶対にこんなことはしなかった。「毎日何かしら前向きなことを手帳に残す」ことが白々しく、その薄ら寒さに3日で嫌気が差したと思う。
公開することで「嘘はない。言ってないことはあるけど」というテイにすることができるのが、私の中で本当に都合がよかった。我ながらとてもめんどくさい性格をしてるとは思う。
素直に手帳に「今日のよかったこと3つ」書ける性格だったらよかったのに…笑
こうして毎日ジャーナリングを書いていると、自画像を描いているような気持ちになる。
自分の中の見せたいところだけを書いて出す。
生き急いでいるのに病弱で、画面の中や数字に囚われているのが今の私だ。
まだ10日しか描き込んでいない。線画にもなっていないかも。これからどんな自画像が浮かんでくるんだろう。半年間の間にモデル自身も変わってしまうだろうから、きっと半年後には描きかけの自画像が何枚か出来上がっているのだろう。
その描きかけの複数の自画像の中に、変えようもない自分自身がいるんだろうな。
半年で書けるジャーナルは約180。
過ごす日常は成長もないしつまんないししんどいし大変なんだけど、ジャーナルを書くのはいいストレス発散になってると思う。ネタを探すために良質な文章を探して雑誌や小説を開いたり、昔の思い出にアクセスするような探究の時間がとても楽しい。
これからの自分の文章の変化も楽しみだ。
今日はこのくらい。


