隙と趣味の話

今日は珍しく朝からテレビを見ていて、あさイチにて堺雅人さんが話しているのを見た。
「自分は演劇しか出来ないので歌やお笑いも上手で演技もできる人を見るとチッてなる」って普通に舌打ちしててめちゃくちゃ面白かった。
阿部寛から「セリフを間違えてるのを見たことがない」と言われるような人なので、演劇特化の完璧超人かと思いきや、色々できるのをうらやましく思ったりするのだなととても親しみを覚えた。
その流れで、「趣味とかもなくて。趣味ないと困りますよね」みたいな話に大吉さんが「隙がない感じには思いますね」、それに堺さんが「そう、隙ないんです」と困った顔で言ってて。隙がないって困ることなのかと思ったりした。これは半分妄想だが、歴史や演技に没頭しすぎて無防備になっている背中はとても隙があるように思う。

堺雅人氏を見ての感想という前振りが長すぎた。今日のジャーナルは「趣味は隙」という話。
そもそも趣味って隙なんだな、そういう風に考えたことなかったから面白かった。隙というのはつまり「他人がつけいる隙」のことであって、初対面同士が仲良くなるきっかけ?みたいな意味かな?

そういう意味でいうと私は隙だらけである。
お絵描き、音楽、写真、英語にカフェ巡りと趣味が多く、果てには仕事も半分趣味である。土日を割いてパソコンに向かって何かを作っている。じゃあほんとにつけいる隙があるのか?というと微妙だが、他人がつけいる隙という意味ではなく、私の心の中にそれらによって作られる隙間がいっぱいあるという意味だとすると、まあそうだなと思う。
私自身が揺らいだ時、それらの趣味が免震構造がごとく揺れを吸収してくれる。ひとつではなくたくさんある方がいいと思う。「今日はこれじゃないな」みたいなことは多い。

堺氏みたく一つを究めるのもアリだと思う。それは単なる「一つ」ではなく、一つの大きな柱の中に多くの空洞を持つ感じになる、と思う。自分で演じる、人の演じるのを見る、作品の時代背景を調べるなど色々やることができる。大きな柱が崩れることはそうそうないだろう。

文字を書くことも趣味みたいなものだな。スマホに移行して長いけれど、10数年に渡り考えたことや起きたことを書かなかった日は数ヶ月に一度あるかないか。今年は手帳と紙のジャーナリングもしたし、ブログにインスタも初めて、ひったすら書くことをした一年だった。(まだ二月あるよ締めくくるな?)

今日はこのくらい。