創作が繋いでくれたこと

ある日突然、昔のポストが大バズりして取材がいっぱい来るような生活がしたいなあと思ったのだけど、取材されるような専門性も苦労もあまりしていないから、無理かなあ。

かろうじて次男のことがそれっぽい気がするけど、きっかけはあったとしても、話し続けるだけの体力と人好きする語り口がないなあ。

延々話ができるタイプじゃない。文字なら延々書けるけど。対談とかじゃなくて、やっぱり文章で売れたいのかなあ。

「取材されたい」「売れたい」みたいなのの背景にあるのは「私は価値がある」ということの証明がしたいんだろうな。「自分は価値がないかも」と思っちゃうのがすごく怖い。その結果一人になっちゃうとかチヤホヤされないとかそういうのも嫌だし、自分自身が何も作れないってなるのもすごい嫌。

現状インスタもほぼ止まっているけど、こうしてジャーナルにしがみついているのは、そうした成果をゼロにする怖さも少しあるからだと思う。

あとはやると決めたことはやり遂げたいっていうのもあるな。半年続けると決めて、その日に書くことが出来なかった日もあるけど、翌日までには必ず書いてきた。このジャーナルもあと半月で終わる予定だ。

ただただ1000字毎日書く。推敲もほとんどせずに、思いついたことを書いてきた。傍目には成果とは言えないかもしれないけど、漫画を描くほどのまとまった時間が作れない中、「ジャーナルは続けてきた」ということが私の生産性の証明になってきた。質は低かったかもしれないけど。

ジャーナルを書いてなかったら「なんも公開してない自分」が嫌で仕方なかったと思う。それほど消耗している自分を自覚せざるを得なくなるのが、嫌だったと思う。だから苦し紛れに文字を書いて、私は大丈夫だと自分に言い聞かせてた節もあったと思う。

これからまた新生活が始まる、四月は少し時間があるはずだから、漫画を描く時間も取れると思うんだけど、そのあとはどうなるかなあ。

少しずつでも、休みながらでも、発信を続けたいなあ。きっと私にとって表現は欠いてはならないもので、今までは音楽がそれを担っていて、これからは文章や、漫画なんだろうなと思う。

母親や、妻や、会社員ではない自分自身を大事にしたい。あまり多くの役割を生きるとあっという間にキャパオーバーになるとは思うんだけど、それでも、その中でも、自分のストレスを減らす創作の役割は大切にしたい。

私が私であるために〜、なんて。それっぽいこと書いてしめる。