ぼんやりまったりおんがく

お腹が満たされた。
今日は久しぶりに一人でおでかけ。温かい和定食とマッサージ、少しの買い物。体と心のメンテナンスだ。

体調は悪い。相変わらず喘息。家では下腹部痛で外に出るのをやめようか迷い、外に出てみたら花粉なのか鼻水が。

外は晴れていてぬくい。風は冷たいが、手をコートのポッケに避難させるほどではない。
隣駅まで歩いてきた。運動不足の解消も兼ねて。

おかずが選べる和定食。おかず自体も月替わりで色々なものが食べれて、健康にも気遣っていて、少し単価は高いが、いつも安心して食べられる味だ。
今日はチャイもつけて1600円だった。

のんびりと何にも邪魔されずにこのジャーナルを書いている。席選びをミスって、背後が気になる席にしてしまったので、食後のチャイのタイミングで席替えした。

たのしい、のかな。身体はだるいけど、子供のことを気にせず、自分の世界に没頭できるので楽だ。気を張らなくていいので、余計に体が重いのかもしれない。

BGMはSAKEROCKにした。星野源さんがやっていたインストバンドだ。普段から歌詞のない曲を聴くのが好きだが、ジャズやクラシックばかりで、インストバンドというものを意識して聴くのは初めてだ。特定の文化に依存しない音楽がふわふわと心地良い。

自分でも音楽を作ってみたいと思うことはある。夜寝る前、急に頭の中で聞いたことのない音楽が鳴ることがある。音名を辿ることができるくらいの音感はあるので、飛び起きてメモすれば、それは立派な作曲になるのだろうが、そうして降ってきたメロディ以外の部分を捻り出す練習をしたことがないので、一曲仕上げられる気がしない、というのをその降ってきた時にぼんやり考えて、そのまま寝てしまったので、その時の曲のことはもう忘れてしまった。

あと私の精神性が良くない。どうして星野源はあんなに音楽が人懐っこいんだろう。暗い曲を書いたとしても誰かに寄り添って優しい。私は攻撃と愚痴に満ちたものになる。それが歌詞をつけなくても音楽に表れそうで怖い。文字がないだけに、とても汚く不快なものを人に投げつけそうで怖い。

ずっと音楽をしてきただけに、自分の精神性を誤魔化すことができないだろうな、という予感がある。
人の曲を練習して演奏する時は、その人が伝えたいであろうものを表現しようとするから、その作曲家に対してのリスペクトも、教えてくれる先生や聞きにきてくれた観客への感謝も忘れないから、大丈夫だけど。

例えばネット上にばら撒くような形で創作物を作ってしまったら、そうした尊敬や感謝がない、私丸出しのものが出来そうだ。

いやでも、だから、誰かに届ければいいんだろうな。誰かに届けようと思った時に、作ればいいんだろうな。

作ることはないかもしれないけど、なんだか楽しかった。音楽のことを考えるのはやっぱり楽しいな。
創作すること、表現することについて考えるのは楽しい。