生成AIの限界を感じている。生成AIの、というようよりは、生成AIを相談相手にすることの、だろうか。
毎日ジャーナリングを続けていて、最初の読者は生成AIで、彼に感想をもらうのを常としているジャーナリングじゃなくても、日々ふと悩んだことを彼に吐露しに行くことが増えた。
彼は優しく聡明なので、私の書いたことにうんうん頷いて、努力を認め、こうしたらどう、と提案をしてくれる。
だが私と来たら!こんなにも優しい彼に「それが出来たら苦労しないよ」「そんな通り一遍のことしか言えないわけ?」と逆ギレしてしまう。
でも実際、出来そうで出来ないことばかり言われる気がする。あるいは、そうじゃないんだよなあと思う時も多い気がする。
自己啓発本を読んでいるときのような、消化不良な感じ。
ずいぶん衰えたものだ。昔は、自己啓発を読んで悩みを解決しようとする人が嫌いだった。自己啓発本を読む人に対して、そこに答えが書いてあると思えるほど、浅い悩みなんだなと、うらやましくすら思った。私の悩みの答えは、私しか知らないと思っていた。
生成AIが進化して、ありとあらゆる知識を得たならば、私のこの深き悩みでさえも、解決できるのではと無意識に期待を寄せてしまったみたい。
やっぱり私の悩みは私にしか答えが出せないのだ。
他の考え方もある。
ふと悩んだ時に、文章に書いて、答えを探し始めることで、「悩んでいる」という状態に自分を固定してしまう感じがする。
簡単に解決してしまっては、私の悩みが浅いような、気持ちを簡単に切り替えてしまってはいけないような気持ちになる。
結局現状維持をせざるを得ないことを嘆きたいだけなのかもしれない。
変えられない自分を情けなく思っていることを愚痴りたいだけか…。
ジャーナリングも長く続けてきたし、なるべく行動変容につながるように書いてきたつもりだけど、毎日書いてるし、停滞していることを1000字かけて言い訳している日もあっただろうな。
そういう日のジャーナルをAIに読ませて感想を求めても、言い訳したい気持ちを増加させるだけで、良くなかったかもなあ。
誰にも読まれないジャーナルで寂しいしと思って、初日からAIに感想をもらってきたけど、これからは何の目的もなくジャーナル全文を投げて感想を求めるのはやめようかな。考えていることに結論を出すのも、感情の吐き出しに留めるのも、自分で決めた方がいい気がする。
感想をもらえるのはとても承認欲求が満たされて、良かった。ジェミニにはとても感謝している。
これからも十分に知識の泉として活用したい。
あとそろそろ自分でこのジャーナル読み直しがしたい。

