五感というものがある。
触覚、さらさら
味覚、あまい
嗅覚、はなやかな
聴覚、いやされる
視覚、うつくしい
などなど。
今日ぼんやりしている時に、「香りや触感で人から形容されるのってどうだろう?」とふと思いついて、これを書いて見ている。
どういうことかというと、人を形容するときは基本「元気」とか「可愛い」とか、内面や外見を指す言葉が来ると思うんだけど、その人を象徴する言葉として、「早生みかん」とか「ハープの音色」とか、「白檀の香り」とか、「オーガンジーの質感」とか、視覚以外のもので形容されるのって、楽しそうだなって。
芸術分野の人とかは割とそういう形容もされるんだろうけど、一般人って基本そういうことされないし、例には上品なものばかりあげたけれど、「ネパールカレー」とか、「オカリナ」とか、なんか個性的なもので形容されるのも面白そう。
逆に自分はどんな人と形容されたいのかを考えることで、色んな感触から自分のありたい姿を探すみたいなこともできそう。
わー。なんかもう良い加減自分探しみたいなのやめようって思ってたのにまたテーマがそんな感じになっちゃった。まあいっか思いついちゃったし、続けよう。
私ならどんな感じに形容されたいかな?
触覚、するする
味覚、白湯
嗅覚、かつおぶし
聴覚、衣擦れ
視覚、猫
なんか随分あっさりした感じになったなあ。どろどろはしたくないし、味も匂いも邪魔にならない日常的でほっと一息つける感じ、聴覚はいつでもどこでもあるような、で結局ありたい姿は自分は勝手気ままに振る舞ってるけど周りが勝手に癒しを感じてくれる猫と…。
本気で猫ほどわがままに振る舞っていては、猫ほどの可愛さはないのでだめだろうけど。
猫の愛らしさをほんのちょびっとでも真似できたらなあ。そんなこと考えること自体不遜かしら。
なんというか、目立たないけど常にあって人を癒す感じになりたいのかなあ。
昨日は自分が体調悪かったから、次男の夜泣きの相手が上手にできなくて、起きたら次男の目がぱんぱんに泣き腫らしていて、ああ、可哀想なことしたなあなんて思っていたところ。
現時点ではやっぱり私は猫ではなくて母親で、勝手気ままに風邪を治すために寝ていても次男は癒されてはくれないし、夜中に起きたらミルクをあげて抱っこをしてあげなきゃだったんだよなあと、反省しきり。
ありたい姿にも二つあって、めちゃくちゃ人に甘えられる自分と、どれだけ人から甘えられても立っていられる自分と、どっちも理想だよね。
なんだかぼやけたまとめになったけれど、今日はこのくらい。

