スレッズの投稿から「自分軸とは?」を考える。

付き添い中で娯楽が制限されていて、本を読むのはちょいちょい中断されて集中できない、リールかYouTube見たいけどイヤホン出すのはめんどくさい、って時にスレッズがとてもよい。
読み流しているだけで適度に時間が流れて、中断されてもイライラしない。

今日のジャーナルはそこで見た以下の投稿をテーマにしようと思う。

結婚して子供がいて、仕事もしている主婦だとして、
◯自分軸で生きる
◯自分を大切にする
ができている人ってどんな人なんでしょう?

これ、今の私は、どっちも出来てると思っている。
先天性心疾患の子供がいて、付き添い入院中というとても制約の多い状態の中、自分軸を持って自分を大切にできている、と感じられるの、すごいことだと自分で思う。

子供が病気で、病院に閉じ込められてるのに、どうして自分軸で生きていると思えるのか?
 →側から見たら不幸で、環境が閉鎖的なのは確か。でも閉鎖的な中でも、選べる選択肢を「自力で」増やしたという感覚があって、増やして選んだ結果、何もしないよりも格段に快適に過ごせてて幸せだと思うから。

自分を大切にできているか?
 →こっちは、どうにもできない側面が少しある。健康面だ。本当は通院すべきなんだけど、人手が足りなくて無茶している。けど精神面で自分を大切にしている。毎日ジャーナルを書いて自分の気持ちと向き合い、今日一日、どういうことをしたのか、洗濯から処置の内容から全部書いて、「今日もがんばったね」と自分を労っているし、家族とまめに連絡して労いあっている。

最近よくないなと思っていることがあって、自分の「賢さ」の重要度がかなり高まっていて、「賢くない」ことへの忌避感が強い。

自分軸の話から飛躍してしまった。順に話す。
自分軸がある状態を維持できているのは、ひとえに余裕があるからだと思う。わたしはこの余裕を、創意工夫と入念な準備で作り上げた。そして創意工夫も過不足ない準備も、頭が良くないと出来ない。自画自賛もいいところだが、この困難の中、何回自分に「あたまいいな!」と賛辞を送ったか分からない。

なので、結局「賢さ」なんだよな。という極論に辿り着きがちで。でも実際には他にもたくさんあると思う。「愛嬌」とか、「優しさ」とか、「筋肉」とか。そういうのを否定しないようにしたい。
いま否定しがちなのは「効率が悪そうに見えること」かな、その人が効率を求めてないのに、私が勝手に「効率悪すぎる」とやきもきしてること多い。

今読んでる本のなかで、評価基準がたくさんある方が柔軟に対応できる、と書いてある。
自分軸がある、というのも、似た話で。きっと自分軸の答えはたくさんあるし、今私がもっている「賢さ」の自分軸ももちろんいいと思うけれど、他にもたくさん自分軸を持てたらいいんじゃないかなと思ったりした。

このスレの人は、「家族を優先して自分を後回しにしてしまう」と書いてあったが、その意味では、それに不満がないならそれもひとつの自分軸だと思う。大切にしていないと思うなら自分を優先する割合を増やせるといいんだろうね。