為になるはずだ、と耐えながら本読んでる

心理学の本を読んでるのだけど、「あなたはこんなときAとBどちらを選びますか?Bを選ぶのではないでしょうか?」と言われて、私はAを選んでいたのでうーん?となってしまった。
さらに読み続けていたら「近所の人について『この人はこういう人で…』と勝手に妄想していて、ふとしたタイミングで詳しく知ることになった時に、妄想が当たっていたり、全然違ったりしますよね」みたいに言われて、「妄想なんぞせんわ」と思ってしまった。

読んでる本が「ハーバードの心理学講義」なのが悪いと思っている。

日本人はマンションの隣の人と毎日のように顔を合わせていて会釈程度はする間柄だとしても、お互い目を合わせることもなく、世間話をすることもない。
アメリカ人は文化的に、他人と顔を合わせれば世間話をすることになっている。目を合わせず、なんとなく襟元などを見て話すのは失礼だから、顔もちゃんと見て話しているはずだ。
そこまで解像度が高い知り合いについては、家族構成もぼんやりと知っているし、性格の片鱗が世間話にも現れるものの、そこまで長い時間ではないので誤解が生まれやすいんだろうと。だからこういう例え話が出てくるんだろうと。
推察はしてみるものの。

まだ一章も序盤である。著者の持ってるバックグラウンドと自分のそれが違いすぎて、読むのに心理的なハードルが高い。それでもハーバードという世界でもトップクラスの大学で行われた講義であるはずで、いま私は心理学的な知見を蓄えたいと思っているので、真面目に、あとでレポートを書くぐらいの心持ちで、耐えて読んでいる。

せめて共感は出来なくとも発見や理解ができるといいなあと思いつつ。

そもそも読み始めた理由が、自分や他者との関わりの中で悩むことがまだまだ多くて、色んなアプローチで勉強して円熟した大人に近づきたいという狙いがあったから。今年の目標は「幸せの言語化」だったり、表現についても勉強したかったから。

なんだけど、著者と反りが合わないという新たな悩みが発生してしまって。ほんと人間関係というやつは奥が深くて厄介で面白い。

だいぶ心の余裕も出来てきたので、色々考えながら読み込んでいこうと思う。