リールのふかわりょうに「だから言っただろ?糸井重里絶賛を鵜呑みにするなって」と言われて、面白いような悲しいような、微妙なきもちになっているおしおです。
まだギリギリ「鵜呑みになる方」ではなく「糸井重里絶賛の方」だからいいのか、より悪いのか、果たして。
まあね、お笑いのネタなのでそれこそ真に受けるなって話なんでしょうけど。
糸井重里本人がそう表されているけど、「帰依できない」人でいた方がいいんだろうなと思う。何かに心酔して、その人の言うことならなんでも信じるみたいなのはあまり良くないなと。
私自身最近ほぼ日から吸収しまくっているけど、「ありゃ眉唾だな」とか「これはやめとこう」とか、ある程度距離を置いて、面白いものだけをピックアップ出来ているので、そうした距離感は忘れないでいたい。
ほぼ日に参加できるならしてみたいとも、一方で思うけどね。楽しそう。
ほぼ日以外にも面白い情報源がありゃいいんだろうけど、中々見つからないんだよね。
絶対あるはずだから、英語とかでも探してみたいなあ。
お笑い見て真面目に考察し始める堅物な自分が好きだよ。おかげでこうして今日も文字を書いて、目標にしてる半年公開ジャーナルの道を進めるからね。
ほぼ日でも、糸井重里が毎日、今日のひとことを書いているし、スタッフの誰かがランダムで3分コラムみたいなのを書いているのも今日見つけて読んでみたりしていました。
私自身が毎日だらだら書いているものと、どう違うかなって思いながら読んだりしています。彼らは仕事で、私は趣味で書いているけれど、私も至極真面目に、自分自身と向き合って書いているから、一概に下手とか、すごく差があるとか、そこまでは感じなかったな。
でも糸井重里氏の今日のひとことは別格だなと思う。取り上げるネタも、言葉の選び方も、通底する思想も、簡単な話なのに、考えさせられるというか、読む人によって想起するものが違うだろうなと思えるような、余白の多い文章なんですよね。話を聞いているのはこっちなのに、こっちが質問されているのかってくらい、考えることが多いというか。
年の功とか、やってきた仕事とか、それこそほぼ日のサイトのトップページという大事な場所で掲載される「毎日のひとこと」を書いていく中で得た能力なんだろうなと思う。
このジャーナルは私のための私の私による文なので、そうした余白は意図しては作らないけれど、インスタの投稿とか、漫画とかでは、意識してみてもいいかもなあと思う。
どうやったらそういう風に書けるのかは、皆目見当もつかないけれどね。

