一から十まで話したいから漫画にしたの

久々に外出しました疲れた。例のごとく次男と病院です。いつも通り薬を処方してもらい帰宅。今日は混んでいて時間かかった…。次男は相変わらず脱がされても血を取られても泣かず。泣いた方がいいよと医者からも私からも諭されています。

今日は「マデリンから愛を込めて」を読んでいます。
ほぼ日のサイトを翻訳ツールを使って読んでいたという、オーストラリアの女子高生マデリンによる不定期連載。
その中でマデリンはほぼ日のことをこう書いています。

『私がほぼ日の記事から感じ取ったのは、まさにそういうものでした。そこには何の魂胆もなければ、「してやったり」というような質問もありません。おもしろい経験をして、それを世界と分かち合いたいと思っている人々の、本物の人々による、本物の会話があるだけ。』

ここの部分、私が漫画を描きたい理由ほぼそのままだなと。
私は自分のした体験を誇張せずにそのまま話して聴かせたい、ただ話して聴かせるには、どれだけユーモラスに話しても、前提が複雑で、あまりにも長い話になり、一昼夜では終わらないので、じゃあ本にするしかないなと思ったのです。

そもそもは「こんなにがんばってるのに、こんなすごい体験したのに誰にも話せてないな〜!」というフラストレーションが始まりでした。
今のところ次男の容体も安定していて、時間もあって、でも外には自由に出られないし、平日日中はみんな働いているし、夫や母にも重大な話は報告したり相談したりしたけど、そうした重大事案に至るまでの色々の方が私的には話したい部分で、友達に一から十までぜーんぶ話したいな〜!けど話すには「実はお腹の子が心臓病らしくてね」という「面白い話」に分類するにはあまりにも重たいイントロから入らないといけなくて…。

で漫画にすることにしたのです。描いたこともないのに。

今日はいったんここまで。