しみじみと、落合陽一の「共に生きる」が沁みている。
これから残りの人生どう生きようかずっと考えていました。何かしらの出力をしながら、「誰かに元気を与えたい」とか、「よりよく生きたい」とか、体力がなくてすぐ怒ってすぐサボる自分には、優等生すぎる目標で。
もののけにもあったな…。「そなたは森で、私はタタラ場で、共に生きよう」。
Wakey’s showの「それもいいね」にも通ずるな。let it goにも通ずるね。流行りのだとgoldenか?ずっと伝えられているメッセージは変わらないんだなあ。
でも「ありのままの」だけじゃなくて「共に」なのがいいなと思う。自然体そのままじゃ、角がぶつかるから、すり合わせが必要になる、それくらいの調整はしながらも、目標は「よくなる」ことじゃないのがいい。
誰をも取りこぼさないことを良しとする。その姿勢がいいなと思う。
分断の時代に必要な考え方だと。
誰かを見捨てないために、まず私を見捨てない。
弱い私でもいい、それでも何か作っていい、質が悪いとか、意味がないとか、思わなくていい。ただ「共に生きる」ための試行錯誤だから。
競争社会で生きるのに疲れてるんだろうなあ。インスタも発信のため勉強のためと、かなり時間を割いて色んなアカウントを追っていたけど、今度は逆に距離を取り始めた。
スクリーンタイムも長すぎでね、なんと驚異の週平均8時間。ゲームも習慣化というか、暇つぶしにパズルゲームのつもりが寝不足、なんてことが多々あり。
快適さを追い求めまくって、日々怠惰に生きるのにも飽きてきた感があるし、これからまた社会人に戻るはずなので、その予行練習として、徐々に定時までに起きる練習を(そこから!?)はじめようかなと。
色々生活見直したいから、寝室にスマホ持ってくのやめようかなあとか、タイムログを取りたいなあとか、食事面でも減塩したいなあとか、ごまわやさしいを取り入れたいなあとか…。
共に生きる上で、自分がなりたい自分ってどんなんだろうなと改めて考え始めていて、理想の自分像から逆算してやりたいことが、泡のようにぽこぽこと浮かんでは消えている日です。
ほんと高等遊民がすぎる。長男と次男と日本の福祉が与えてくれた育休と言う名のモラトリアムを最大限活用して、私は私のことを見捨てないで、やりたいことをやろうと思う。
ジェミニに生成してもらったタイトルやっぱ気に食わないから自分でつける。適当になったらごめむ。

