気持ちを贈る日

今日は誰かに気持ちを送る日でした。疲れてしまった人、がんばった人、そして世界のたくさんの人へ気持ちを込めて机に向かいました。午後時間があったので、いっぱい文章を書いていっぱい絵を描きました。誰かに元気になってほしくて動けた日で、相手に届いたかはともかく、私自身がとても満ち足りた日でした。
誰かを想うことができるというのは、私自身に余裕がないとできないことです。100%元気だったわけじゃないけど、これまで感じてた恩とかもあって、筆を取らずにはいられなかった、という感じ。

最近は誰かを応援することに気後れしなくなりました。自分がものを作るようになって、応援なんてなんぼあってもええねん、ととても感じるようになったので。
ただお相手様も忙しいので、「応援です!」というのがすぐ分かるようにはしてます。「お仕事の依頼」とかと混ざっちゃうとよくないよね、ということで。

今はもらった元気にお礼するばかりだけど、これからは知らない人の元気を作れたらなあと思います。今日書いた文に「あなたのわけてくれた元気が私の中で育ってるよ」という内容があったのだけど、それがさらに他の人の中に渡っていけばいいと思う。私はもうピークを過ぎて出涸らしだけど、残ったものだけでも誰かに渡って少しでも糧になったらと思う。

あともう一つ今日考えてたことがあって、一人でできることって限りがあるよなって。だからみんなでやればいいんだよなって。それって、死んだら出来ないことだよなあって。(話がものすごい勢いで飛躍している自覚はあるので一段ずつ噛み締めてください)。

死後の世界って色々あるよね、天国に行けば、老いも苦しみもなさそうだけど、もう「みんなでやる」は出来ない気がするの。だから学校もないし、会社もない。生きてる間は、なるべくたくさんの人達の中の一人になって、動きたいなあって。
今は漫画をね、「私がやります!!」って感じで描いてるけど、看病が落ち着いて社会に戻れたら、「私がやります!!」って言ってる誰かに「いいねやろう!!」と言って助ける誰かになりたいなってちょっと思ったの。もちろん「私がやります!」の人になってもいいんだけど。それはちょっと怖いし。あと一緒にやってくれる人見つけられるほど魅力的な「やりたいこと」が見つかるかな?って怖さもあるし。

ポジティブを発信するの怖いなとか思ってるんだけどね、やりたい理由はいっぱいあるの。そうなれたら素敵なのは分かってるんだ〜。

今日はこんな感じ。

ジャーナリングにも絵をつけたいなあ。

いしもりなこさんに私の気持ちを送ろうと思って描いたのだけど、適した方法が見当たらなくてお蔵入りにしたものを、ここに置いとこうと思う。